Drivers Rank Constructors Rank
Pos Driver Points Pos Constructors Points
1 J.Surtees 40 1 Ferrari 45(49)
2 G.Hill 39(41) 2 BRM 42(51)
3 J.Clark 32 3 Lotus-Climax 37(40)
4 L.Bandini 23 4 Brabham-Climax 30
4 R.Ginther 23 5 Cooper-Climax 16
6 D.Gurney 19 6 Brabham-BRM 7
7 B.Mclaren 13 7 BRP-BRM 5
8 P.Arundell 11 8 Lotus-BRM 3
8 J.Brabham 11 HONDA
10 J.Siffert 7 Cooper-Ford
11 B.Anderson 5 Porsche
12 T.Maggs 4 Scirocco-Climax
12 M.Spence 4 Brabham-Ford
12 I.Ireland 4 Derrington F-ATS
15 J.Bonnier 3
16 C.Amon 2
16 M.Trintignant 2
16 W.Hansgen 2
19 M.Hailwood 1
19 P.Hill 1
19 T.Taylor 1
19 P.Rodriguez 1

当初はエンジン供給というかたちでの参戦を検討していたものの、
紆余曲折の末にシヤシーとエンジンを自製してのFl参戦を決定。
1964年春頃まで金色のボディーRA270でテストを行い参戦準備を
進めていたホンダは、選手稚第6戦のドイツGPにRパックナムとともに
RA271を出場させた。予選最下位で決勝への出走権を獲得し全長
22.810kmという屈指の難コースに挑み、15周のレースで9番手まで
ポジションを上げたが、12周日に激しいバンブに乗ってコース脇の
土手にクラッシュ(13位で完走扱い)。ドライバーのパックナムに
怪我はなかったが、マシンが大破したために次戦オーストリアGPは
欠場する。
1戦のインターバルをおいて、改良されたRA271は第8戦イタリアGPに
出走して予選10番手と健闘。
決勝でもスタートに失敗しながら、高速コースのモンツア・サーキットで
快走し、セカンドグループのトップとなる5番手までポジションを上げるが
ブレーキとエンジンのトラブルによってリタイア。
続くアメリカGPでは、オーバーヒート対策が施されたフロントノーズを
持ち込んだものの、予遜でそれを壊したことから決勝はピットでリタイア。
それでも、この年に出走した3戦は翌シーズンに向けた重要な経験とし
てチーム体制強化のとなり、ホンダは「参加するだけでなく、勝つ
ためのマシン造り」を決意した。