Flグランプリカーの開発チームは、並行して市販4輪自動
車の研究開発も行っていたが、急遽取りかかったFlグラン
プリカーの設計にも一切妥協はしなかった

 RA271は、初めて製作するFlにもかかわらず、挑戦にこだ
わるホンダの姿勢を象徴したレーシングカーに仕上がりつつ
あった。

 第1期Fl活動において、外部との窓口に立ったのは、技術
者でありながらチームのマネージメントも担当した
中村良
である。
 同氏は当時ヨーロッパレース界と関係を持っていなかった
日本からFlグランプリヘ挑戦を開始するにあたって、レース
参加の道筋を探って対外折衝を進め、体制を準備していった

 当初、RA271の参戦準備は、7月のシリーズ第5戦イギリス
GPを目標に進められていた。しかし、エンジンを準備するの
と同時にシャシー製作を進めるという、膨大な作業を前に
スケジュールは遅れ、デビュー戦は8月2日に開催されるシリ
ーズ第6戦ドイツGPへと変更された。

 この間、ホンダはFIAとFlグランプリ出場に関わる折衝や
ドライバーの選定を行った。

日本のナショナルカラーが決まったのは、まさにこのときで
ある、当初ホンダは、試作車RA270Fの塗色であった金色を希
望したが、すでに金色は南アフリカに割り当てられていた為
RA271は、アイボリーホワイトをベースに赤い日の丸で、塗ら
れることになった。
 
またドライバーには、アメリカで活躍していた新鋭ロニー・
バックナムの起用が決まった。

 ようやく完成したRA271は、7月12日、ヨーロッパヘ向けて
発送され、オランダのザンドフォールトサーキットでシェイ
クダウンが行われた、しかし、十分なテスト走行をする間も
なく、ドイツGPが開催されるニュルブルクリンクヘと運び込
まれた。

 公式予選では、最初から起伏の激しいコースに、対応する
セッティングに悩まされた。2日日にはピストンを焼き付かせ
て走行不能となり、周回不足で予選不通過となってしまった
だが、オーガナイザーヘの申し入れの結果、特別セッションが
設けられ、必要周回数を消化したうえで、最後尾スタートが
認められることになった。

 迎えた決勝レース。バックナムが駆るRA271は、エンジンの
高性能を武器に最後尾から順位を上げ、出走22台中9番手に迄
進出、が、コースの起伏でジャンプした際サスペンションを破
損し、さらにコースから飛び出してシヤシーを破損しリタイア
(13位完走扱い)を喫した。

 この修復のため、続くシリーズ第7戦オーストリアGPを休場
懸命の修復作業を終えたRA271は、シリーズ第8戦イタリアGP
に出走した、公式予選の結果は、出走25台中10番手、決勝では
スタートで出遅れたものの、エンジンパワーにものを言わせて
5番手にまで進出することができた。しかし、オーバーヒート
とブレーキトラブルが発生し、12周を走行したところでリタイ
アを喫する。

 さらにシリーズ第9戦アメリカGPへと転戦。出走19台中14番
手で公式予選を通過したが、決勝ではオーバーヒートを起こし
て、前戦に続くリタイアでレースを終えた。

 こうしたRA271の不調を深刻に受け止めたホンダは、最終戦の
メキシコGPには出走せず、デビューシーズンとなった164年のFl
活動を終えた。